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2019年06月12日

6/12 五木寛之先生がチャンネル銀河(CS放送)に出演

五木寛之先生がチャンネル銀河(CS放送)に出演



◆番組名: 「五木寛之 歌いながら歩いてきた」(全10回シリーズ)
◆放送局:チャンネル銀河(CS放送)
◆出演:語り手/五木寛之
    聞き手/宮下康仁(放送作家)
◆放送日時:6月12日(水)朝5:30〜6:00(各回30分放送)
 リピート放送:当日の午後5:30〜6:00

*「大河の一滴」の特集になります。しげこさんの出演はありませんが、
お写真を数枚お貸ししています。
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◆数々のベストセラーで知られる作家・五木寛之氏だが、その足跡には、
いつも「歌」があった。若き日に作ったCMソングやラジオ番組用に作った歌など、
”五木寛之と歌”そして”歌と時代”をテーマに、五木氏が愛するラジオ番組の
ようなスタイルのスペシャル動画をお届けする。 
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五木先生の青森での講演会に重子さんはゲストとして、お招きいただいていました。
その頃、先生は映画「大河の一滴」のテーマ曲の詞をお書きになっていらして、その仕上げの段階にいらっしゃいました。
その詞の中の英語の部分を重子さんが確かめのお手伝いをさせていただきました。確かめる必要もなく、完璧だったようです。
大変に光栄で、生涯の想い出となったことでしょう!

  

Posted by 管理びと at 02:36Comments(0)

2019年06月12日

「大河の一滴」  「A Dop of Water in the Mighty River」

              詞 五木寛之   曲 加古 隆

          人はみな  世界に                    
          ただ ひとつの 生命(いのち)を                                        
          抱きしめて  流れゆく
          遠い海の  かなたへ

          A Life is like a River
          Flowing down to far Oceans,
          A Dop of Water in the Mighty River

          人はみな 世界に
          ただ ひとりの 旅びと
          その いのち 大河の
          一滴の 水にも

          人はみな こころに
          哀しみを 隠して
          ほほえみを かわしあう
          恋びとの ように

          A Life is like a River
          Flowing down to far Oceans,
          A Dop of Water in the Mighty River

          あなたの愛 ふたりの夢
          現在を生きてる 私たち
          いつかは終わる 人生だけど
          明日を信じて 生きる

          人はみな 世界に
          ただ ひとりの 旅びと
          その いのち 大河の
          一滴の 水にも

 安田成美、渡部篤朗主演の映画『大河の一滴』の主題歌を、原作者・五木寛之のリクエストにより鈴木重子が担当。 

ソフトな声で、詞の意味をかみしめながら、素直に歌い上げている。まるで、仏さまが耳元でささやいているかのようだ。
混ざり気のない素直さが何とも言えず心地よい。 邪魔されることなく自分の世界に浸ることが出来る。
大人になった重子さんが今この歌を歌ったら、どんなだろう?どんな世界に連れて行ってくれるのだろうか?
ぜひ今、もう一度、歌ってみて欲しい! 18年の歳月は自分にとっても意味がある。きっと、もっともっと深い所に連れて行ってくれるに違いない。
   

Posted by 管理びと at 02:32Comments(0)

2019年04月02日

逗子


逗子文化プラザなぎさホール

今回、初めて逗子に行きました。
コンサートが目当てでしたが、ホールを出入りしていた時に気になったものがありました。
それは、ホールの廊下の壁に飾られたレリーフです。
波打つ髪が水面に浮かぶ女性の顔のまわりを取り囲んでいる。
ウエーブヘアーのせいかも知れないが、なぜか、気になった。

気になっていたので、帰宅してから調べてみました。
次のようなことがわかりました。

「石原慎太郎が40年愛した海の家 | GOETHE[ゲーテ]
緩く弧を描く逗子の海岸。その西側、原生林が生い茂る小高い山の崖上に、忽然と白い城塞のような建物が現われる。ここは石原慎太郎さんの逗子にある邸宅だ。眼下には海が広がり、逗子と葉山のマリーナからの艇の出入りが望める。
「石原慎太郎氏、ゆかりの神奈川・逗子にレリーフ寄贈 」- 産経ニュース
逗子を舞台にした小説「太陽の季節」などで知られる作家で衆院議員の石原慎太郎氏が、デザインしたレリーフ(立体壁画)を逗子市に寄贈 ... 同劇場の大道具係など劇場関係者が制作し、逗子市内にある石原氏の自宅で保管されていた。

レリーフ「さ迷えるオランダ人」は高さ1・6メートル、横2・7メートルで3畳ほどの大きさ。帆と舵(かじ)に面のような顔が配され、白い波間からはいくつもの手が伸びる。躍動と静謐(せいひつ)が共存する作品だ。

1963年、東京・日比谷の日生劇場の開設に合わせ上演された「トリスタンとイゾルデ」や「さまよえるオランダ人」に感銘を受けた石原さんが、デザインし制作したという。

もっと、きちんとした写真を撮ってくれば良かったなと思いますが、心にはしっかりと写してきましたから忘れません。
コンサートと共に、良い想い出になりました。

  

Posted by 管理びと at 19:30Comments(0)

2019年03月31日

鈴木重子&ウォン・ウィンツァン コンサート 3/23

鈴木重子&ウォン・ウィンツァン コンサート
  
   ~いのちに寄り添い
           いのちを紡ぐ~


コンサートが、ウォンさんの優しい音色のピアノで始まると、
ざわざわしていたホールは、し~んとして、咳のひとつも聞こえなくなった。
「あっ、これはウォンさん作曲のNHK「こころの時代」のテーマ曲だ!」
生で聴くのは、初めてだったので、嬉しかった。

重子さんが登場して、一曲目の「春が来た」の「は~るが」と歌い始めると、
会場は一瞬にして、なんとも言えない、優しく、ソフトで温かい歌声に包まれた。それはまるで心地よい真綿に包み込まれたような感じとでもいえば良いだろうか。重子ワールドに足を踏み入れた瞬間だ。

「春の小川」「浜辺の歌」など昔から歌いつがれてきた懐かしい日本の歌には、私たちの心の琴線に触れるものが多い。
重子ワールドは、さながら「母なる大地」のよう。
重子さんの歌に聴き入っていたら、子どもの頃からの想い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡って、目頭が熱くなった。

今回のコンサートでは、身体をリラックスさせて、声を出す発声法を重子さんから
伝授して頂き、「普段、まったく歌うことのない私でも、こんなに楽に良い声が出るのか!」と我ながらびっくりした。
早速、その歌い方で、2曲ばかり、さびの部分の練習をしておくことになった。
重子さんが歌う歌の中で、そのさびの部分を一緒に歌う為だ。

そして、いよいよその時が来た。
今か今かと待ち構えていた私たちは、重子さんの合図とともに、すかさず、歌の中に入り、練習の成果で楽にのびのびと出るようになった声を精一杯張り上げて、歌った。
歌い終わると得も言われぬ満足感に満たされ、自然に拍手が沸き起こった。
ステージの上のウォンさんと重子さんに。そして自分たちに。
拍手しながら、お互いの顔を見つめ合い、笑顔笑顔。涙。感動と感謝!

とても素晴らしいコンサートでした。
有難うございました。

重子さんが歌う中島みゆきさんの「糸」
多くの人に感動を与えていました。

「糸」

なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ
こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます
  

Posted by 管理びと at 03:24Comments(0)

2019年03月26日

お彼岸さま

◆春彼岸会 (三月十八日~二十四日)

写真は長い柄の竹の柄杓で水向地蔵尊に水を手向ける子供たち
やってみると、これがなかなか難しい。柄が長くてしなるし、、竿の先の水の入った柄杓が右に左に動き回るし、自分の竿が他の人たちの竿と絡まったりするので、思うようにはいかないのです。

浜松では、春と秋、春分の日、秋分の日をお中日と呼び、その日を挟んで1週間を「お彼岸さま」と呼んで、鴨江観音にお参りに行きます。
今年もお参りに行って来ました。
家での楽しみといえば、ラジオ位しかなかった昔には、近隣の村や町からも大勢の老若男女がお弁当持ちで観音まいりにやって来たのです。沢山の色々な露店が、お寺の境内はもとより、街につながる道の両サイドにも延々と繋がり、学校が終わると毎日飛んで行きました。それはそれは楽しみなものでした。境内には「木下大サーカス」の大テントが張られたり、蛇をむしゃむしゃと食べる「へび女」の小テントも張られたりして、「サーカスに入りたい! へび女を見たい!観たい!」とわがままを言って、親を困らせたものです。
昨日あった高校の同総会でも、その話で、大盛り上がりでした!そうです。当時の有様が目に見え、肌に感じられ、露店で売っているイカ煮や、たい焼など、食べ物の匂いまで、まざまざと、生き生きと蘇って来るのでした。
古き良き時代・・・・・

ここでちょと遠州のお彼岸『お鴨江まいり』の由来を・・・

千三百年の昔、行基菩薩様がこの地方に来られました。この地方では未だ文化も開けず仏法もありませんでした。東に向かって開け、水が流れていた鴨江の沢、その奥まった処に滾々と湧き出ている泉があり、付近一帯に冷気が漂い、夥しい精霊が集まっていました。菩薩様は、この泉を汲んで精霊に手向け、ご供養なさいました。すると樹々の梢に紫雲棚引き、また、妙なる音楽が聞こえて精霊は大歓喜、皆悉く成仏し、此の世ながらの極楽浄土を現成したと伝えられています。水向地蔵尊前、皆さんが水を汲む阿伽井戸が菩薩様のお汲みになった泉です。時に芋堀長者は、観音様にご恩報謝のためとて菩薩様と相談されて此の地に鴨江寺を建てられたのであります。鴨江寺は、その後興廃変遷もありましたが法燈連綿として千余年、今日に至るまで郷土の人々に「死ねば鴨江に行く」との信仰を持続して来たのです。今、皆様が手向ける水は、菩薩様の加持力によって、亡き父母、或いは亡き愛し子又は兄弟姉妹の精霊に回向されて、皆悉く成仏いたします。
このような因縁のお話は別として、初仏の為の初彼岸まいり、亡き父母、亡き親しい人の為の孝行まいり先祖供養、亡き水子の水子供養、鳥獣生類一切の為のペット供養などに心を込めてお詣りすることが、「お鴨江まいり」の本当の意味なのです。

  

Posted by 管理びと at 01:47Comments(0)