3/2*shigeko*
昨日は打ち合わせのあと、いつか観に行きたいと
思っていた映画を観ました。
『故郷よ』
映画は、美しい河縁の風景から始まります。
お父さんと一緒に、リンゴの木を植える男の子。
河に浮かぶボートの上で、語らう恋人たち。
青々と茂るみどりに、咲き乱れる花。
私はその圧倒的な自然の豊かさに、目を見張りました。
その数日後、森林で火事が起こったという知らせがあり
結婚式の途中で消火活動に駆り出された新郎が
いなくなった、宴会のテーブルに、
黒い雨が降ります。
異常に気づいた技師さんは、探知機を持って街中を歩き回り
数値が絶望的に高いことを知って、傘を買い込み、
道ゆく人たちに差しかける。
この映画は、チェルノブイリから3kmのプリピャチという街で
事故に遭遇した人たちの経験を、
その内側から描いた、物語です。
観ているうちに、福島の事故の直後のことを
ありありと、思い出しました。
地震の翌日、テレビで原発の映像を見て
もし本当に大きな爆発が起こったら、すぐに東京を出る必要が
あるかもしれないけれど、そうなったらきっと
すべての道や鉄道は飽和して、
きっとすぐには動けないだろうと思いながら
被災した方々への悲しみや、事故への心配や、
事態が好転することへの願いや
あまりにもたくさんのことでいっぱいになって
周りの方々の手助けをしながら、ただ祈っていた、あの日々。
大きな事件や事故のとき、ひとはそのあまりの大きさに
その重大さや緊急性を、すぐにつかむことができません。
それぞれのひとの、それぞれの受け止め方、反応の仕方が
変化しながら多層に重なって、出来事は形づくられてゆく。
この映画を見ていると、新聞やテレビで知る『事実』と
全く方向と厚みの違う、
『そこにいた人びと』の目から見た、事故というものが
自分のなかに、静かに深く伝わってきます。
イスラエル出身の監督、ミハル・ボガニムさんは、
膨大な取材をして、そこからこのストーリーを紡ぎ出しました。
ドキュメンタリーでないことで、ひとの内面の葛藤が
よりリアルに、鮮やかに描き出されているように感じます。
とうとう帰って来なかった夫を想い
「私がいなくなったら、誰が故郷の物語を語り継ぐの?」と
10年後も現場のツアーガイドとして、
プリピャチに留まり続ける花嫁。
事故後、姿を消した技師を探し続ける息子。
彼らにとって、プリピャチは失くすことのできないふるさとなのです。
私はときどき、あまりにもリアルな、悲しい夢を見ると
起きてからもしばらく、気持ちを変えたほうがいいと思いながら
その悲しみの中に留まり続けることがあります。
夢から出られなくなったかのように。
彼らの姿を見ていたら、そのことを思い出しました。
「前向きになれば」と言うことは、簡単だけれど
大きなものを喪失したひとが、
その痛手をから立ち直るということは
一方で、失ったものを充分に悼み、その意味をかみしめる
ということでもあるのだと思います。
見終わって、映画館を出て、夕方のあかりが灯り始めた
銀座の街を歩いていたら、
道を歩いている、母娘や、夫婦や、ビジネスマンや、子どもや
すべての人たちが、このうえなく、尊く、美しく見えました。
家族が一緒にいるということは、
なんとかけがえなく、幸せなことだろう。
ひとが生きているということは、ただそれだけで
なんとありがたく、愛おしいことだろう。
誰が悪いとか、何が正しいとか、そういうことも忘れて、
私はただ、いのちと、その圧倒的な尊さに打たれて
まわりの世界を見渡していました。
ノンバイオレント・コミュニケーションでは、
対話をするとき、解決法を探す前に、
それぞれの人の大切にしているものに、
互いに深くつながることを勧めます。
「本当のつながりがあるとき、解決は、無理やり起こさなくても
自ずと見つかってくる」と
創始者のマーシャル・ローゼンバーグさんは言うのですが、
私は何年も、この対話法を学びながら、
(とくに誰かと対立しているとき)なかなか、
その『つながり』がどんなものかを、想像することができませんでした。
この映画を見終わった今、マーシャルはきっと、こういうことを言おうとしていたのだろうと、なんだか腑に落ちた気がします。
自分の大切なものに、言葉や主義を超えて、
ありありと触れることができると
自分自身のなかに変化が起こり、
それがわたしにとっての『世界』を変え、私の行動を変えてゆく。
音楽家として舞台に立つとき、
こういう気持ちで、何かを創り出したいと願っています。
聴いて下さる方々とともに
いのちというものを、内側から感じられる、何かを。
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3/3*shigeko*
『故郷よ』で、もうひとつ、とてもこころに残ったのが
プリピャチの自然の美しさ。
事故の前、多くのひとが生活していたときも、
美しかったけれど、
事故が起こって、廃墟となった街を囲む
森の木々や草や花は、
やっぱり同じように、生き生きと美しいのです。
その、あふれる美しさに心をうたれながら、
昨年名古屋でお招きいただいたトークイベントでお会いした、
小林麻里さんの言葉を思い出しました。
麻里さんは、飯館村で被災して、福島市内に避難したけれど
故郷への想いがあまりにも大きく、
今も、飯館村に通って、時を過ごしておられます。
「あらゆるものを失って、
悲しみと怒りのただなかにいるときでさえ、
飯館村の自然は、本当に、本当に、美しいのです。」
彼女はそう言って、涙を流しました。
あらゆるものを洗い、清めるように流れる、そのひかり。
私たち人間の思惑や、時間の観念をはるかに超えて
大きな自然のちから。
私たち、一人一人は、そのいのちの一部であって
決して、その外に出ることはないのだと
なぜか私は思いました。
たとえどんな経緯があっても、子どものお母さんが、お母さんであることに、変わりがないのと同じように。
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鈴木重子公式facebookページより転載。
http://www.facebook.com/ShigekoSuzukiOfficial